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芦屋釜の復興

芦屋釜

その歴史と評価

History and evaluation of Ashiyagama

 芦屋釜は、南北朝時代頃(14世紀半ば頃)から 筑前国芦屋津金屋(現在の福岡県遠賀郡芦屋町中ノ浜 付近)で活動した鋳物師達によって造られた鋳鉄製の茶の湯釜です。「真形」とよばれる端整な形と、胴部に表される優美な文様は京の貴人達に好まれ、垂涎の的となりました。その需要は15世紀後半にピークを迎 え、時の将軍足利義政にも多くの芦屋釜が献納された記録が残っています。また、室町時代の公卿であり学者の一条兼良作と伝わる『尺素往来』には、「鐘子 (釜) は芦屋」と記されています。書簡の形式をとりながら 一般教養を伝える「往来物」は当時の教科書といえるのであり、「釜といえば芦屋」という認識が当時の 一般教養になっていたようです。 
 16世紀になると、芦屋鋳物師の庇護者であった大内氏の滅亡や、他産地の釜の台頭などが重なり、芦屋釜の需要は次第に衰退したようです。その製作は江戸時代初期頃に途絶えますが、現代の茶席においても芦屋釜は主役を務める存在であり、大変珍重されています。 
 また、その芸術性、技術力に対する評価は今なお高く、 国指定重要文化財の茶の湯釜9点の内、8点までを芦屋釜が占めています。 

霰地真形釜
霰地真形釜
浜松図真形釜
浜松図真形釜
無地真形釜
七宝文真形釜

芦屋町山鹿にある「八木鋳金 」は、芦屋町が所有する「芦屋釜の里」に隣接し、令和4年3月にオープンします。室町時代からの伝統を現代に復興させた芦屋鋳物師八木孝弘の工房となります。

ギャラリィ紹介

「芦屋釜の里」に隣接する「八木鋳金」。工房内にあるギャラリィでは、芦屋鋳物師八木孝弘製作の錫製の酒器やその年の干支の置物などをご購入できます。数に限りがありますので、品切れの際は次回製作までお待ちいただくことになることをご了承ください。

錫製酒器 銘「雪月花」

自然の美しい景物を表す「雪月花」。元は中国唐代の詩人白居易の「寄殷協律(殷協律に寄す)」の一句に拠っています。日本では特に好まれ、伝統的な日本の美を想起させる言葉となりました。
本作の銀白色の表面は雪、高台には梅花、内部の見込みには十三夜の月を表しました。
錫は水を浄化するといわれ、古来酒器に用いられています。

こちらのオンラインショップからご購入できます。

芦屋釜の復興

芦屋釜

の特徴

History and evaluation of Ashiyagama

 芦屋釜の一般的な特徴を見ていきましょう。
1.形は、「真形」とよばれる形状です。
その特徴を部分的に記すと、
①口造りは繰口(口の立ち上り部分が湾曲した形)。
②鐶付は原則として鬼面。鬼面は竜首を思わせるような形状で、厳しい表情です。時代を経るにつれ、獅子面や亀など鬼面以外のものも現れます。
③胴部に羽をめぐらします。羽は風炉に懸けるための部分です。古芦屋の多くは長年の使用で底が傷み別の底に入れ替えられていますが、その補修の際、羽を欠き落としたものもみられます。
なお、底の補修の際、別に造った一回り小さい底を釜の内側から接着したものがあり、その形状から「尾垂釜」と雅称されます。
2.地肌は滑らかで、鯰の肌に似るので鯰肌とよばれます。
3.胴部に文様を表します。風景、動植物、幾何学文など様々な文様があります。また、霰を地文とするものもあります。
ごく稀に、寄進先や寄進年、作者名等を記した作品もみられます。
4.鋳型の中子(中型)は挽き中子法という技法で造ります。
このため、釜の内部に細かい線状の挽き目がみられるものがあります。挽き中子法は、芦屋鋳物師に伝わったとされる技法です。

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