芦屋釜の復興
芦屋釜
その歴史と評価
History and evaluation of Ashiyagama
芦屋釜は、南北朝時代頃(14世紀半ば頃)から 筑前国芦屋津金屋(現在の福岡県遠賀郡芦屋町中ノ浜 付近)で活動した鋳物師達によって造られた鋳鉄製の茶の湯釜です。「真形」とよばれる端整な形と、胴部に表される優美な文様は京の貴人達に好まれ、垂涎の的となりました。その需要は15世紀後半にピークを迎 え、時の将軍足利義政にも多くの芦屋釜が献納された記録が残っています。また、室町時代の公卿であり学者の一条兼良作と伝わる『尺素往来』には、「鐘子 (釜) は芦屋」と記されています。書簡の形式をとりながら 一般教養を伝える「往来物」は当時の教科書といえるのであり、「釜といえば芦屋」という認識が当時の 一般教養になっていたようです。
16世紀になると、芦屋鋳物師の庇護者であった大内氏の滅亡や、他産地の釜の台頭などが重なり、芦屋釜の需要は次第に衰退したようです。その製作は江戸時代初期頃に途絶えますが、現代の茶席においても芦屋釜は主役を務める存在であり、大変珍重されています。
また、その芸術性、技術力に対する評価は今なお高く、 国指定重要文化財の茶の湯釜9点の内、8点までを芦屋釜が占めています。